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【国・ミ】『蛇行する川のほとり』恩田陸

  • w-pegana
  • 2015年12月22日
  • 読了時間: 4分

恩田陸『蛇行する川のほとり』(集英社文庫他)の紹介ページです。

『三月は深き紅の淵を』で恩田さんにハマり、手に取った一冊です。

また、同時期にtwitterにて、「〈少女たちの物語〉でおすすめはありますか?」と良く分からないことを人に聞いた際に名前が挙がったこともあり、読んでいる最中から期待大だったのですが、その気持ちを裏切らない傑作でした。

ストーリーは、

市の中心部をゆったりと流れる川のほとりにある、通称「船着場のある家」。

雰囲気ある立派な家にも関わらず、長年空家だったのは、昔ここで殺人事件が起きたからだった。

船着場から下流へと流れたらしいボートから、女性の絞殺死体が見つかったのだ。

犯人は依然見つからず、迷宮入りとなっている。

さらには同時期に、家の近くの音楽堂で子供が梯子から落ちて死んだ事故が起きていた。

そんな、いわく付きの家に数年前、香澄は引っ越してきた。

すらりと背が高く、穏やかで品格ある香澄は、幼馴染でふわりとした雰囲気を纏った、ある意味対象的な芳野と仲が良い。

いや、仲が良いなんて表現では不十分かもしれない。

彼女たちは二人だけで完結しているようにさえ思えた。

二人に憧れる女子生徒は多い。

その内の一人である毬子は、ある日香澄から彼女の家へ来ないかと誘われる。

演劇祭で使う舞台背景を描くために芳野と夏合宿をするらしい。

もちろん毬子はこの誘いを快く引き受ける。

ところが、誘いを受けた日から、香澄のいとこの月彦に「香澄には近づくのはよせ」と謎の忠告を受けたり、誰のものか分からぬ視線を感じたりと不穏な空気が漂い始める。

香澄と芳野、そして毬子、さらには月彦と彼の幼馴染の暁臣を加えて始まった夏合宿の中で、毬子は忘れていた記憶を徐々に取り戻していく。

過去の事件によって結ばれた彼らの関係が、そして真実が少しずつ明らかになっていく。

――「あたしたち、絵を仕上げなくちゃいけないわ」

はい、こんな感じ。

冒頭で述べた〈少女たちの物語〉と云うのは、私が勝手に提唱しているだけで、外で口にしたら100%「は?」となるので、あまり気にせず…。

自分の中でもまだ発達中の考えなので、かなり抽象的な話になってしまいます。

〈少女たちの物語〉とは、単に女の子がきゃっきゃっしている小説ではなくて、小説の中でまれに遭遇する、“(一見)完成された関係性を持つ少女たち”の出てくる物語という感じです。

(抽象的すぎますね…)

ここからの話は個人的な意見です。

あまり、「男」「女」で語るのは良くない気もしますし、単純に二極化できない問題であること(例えば女性であってもそこに当てはまらない場合もあること)は重々承知しております。

私自身が少年だったころを思い出すと、仲の良いグループで起きた問題に自分たちではどうも対処しきれないとき、割合臆面もなく外へ助けを求めていたような気がします。

ここでは是非を問うつもりはありませんが、自分たちで対処できない以上、この方法は効率的だとは思います。しかし、悪く云えば鈍感というか、そこに恥じるような繊細さはありません。

一方で、女の子はどちらかというと、自分たちの輪の中で生じた問題を外部に持ち出すのを躊躇う印象があります。

そこには、恥じらいや、あるいは反対に誇りのようなものがあるのだと思います。

これは彼女たちの弱さでもあり、強さでもあります。

特に〈少女たちの物語〉に出てくる女の子たちは、一見完成された関係性を有しています。

「一見」とつくのは、その関係性が決して絶対的なものではないからです。

全方位死角なし、というものではなくて、あくまでアンバランスな中にありながら、今この瞬間、偶然にも均一が取れている、そんな状態です。

その(一見)完成された関係性、つまりは自分たちの輪の中に彼女たちは内向的なベクトルを描きます。

輪の中に生じた諸問題をあまり外へ出したがりません。

自分たちだけで延々とパスすることで、輪の中に渦が出来上がり、より深く深くへと沈んでいきます。

また、便宜上〈少女たちの物語〉と呼んでいますが、これは一人の少女の中にでも成り立ちます。

自分の中でぐるぐると渦を巻いて、深みへと落ちていってしまうような感じ。

現実の女の子たちの間にこのような状態が存在するのかは分かりません。

(なぜなら、もし存在しても彼女たちはそれを外に出したがらないため認知できない)

また、上記のとおり、小説に女の子たちが出てくればすべてが当てはまるかというと、これまた違います。

『蛇行する川のほとり』を読むと、この〈少女たちの物語〉が少しイメージしやすくなるかと思います。

本作は、月彦と暁臣という二人の少年が序盤から終盤まで、全編に亘って登場しているにも関わらず、「少年少女たちの…」ではなく、やはり〈少女たちの物語〉なのだと思います。

(あとがきで恩田さん本人は、「少年」についても言及されていますが、その前に『ネバーランド』を挙げていらっしゃいます。ここではあくまで本作に限った話として)

随分と長くなってしまいましたが、こんな理屈抜きでも面白い作品ですので、ぜひ一読を。

 
 
 

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